ブータン王国

みなさんはブータン王国という国をご存じでしょうか?
多くの日本人は、2011年の東日本大震災後の初の国賓としてジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王が結婚したばかりのジェツン・ペマ王妃とともに来日し、被災地のほか、東京の国会議事堂で衆議院本会議場での演説・京都などを訪れたことを覚えているのではないでしょうか?とくに、ジェツン・ペマ王妃の美しさが話題にもなりました。ちなみに、私がネットで使っている「PEMA」というハンドルネームと同じ名前で、チベット語の正式なローマ字表記では「PADMA」となりますが、意味は「蓮の華」で、仏教的には観音菩薩のシンボルです。ブータンの国語であるゾンカ語は、言語学的にはチベット・ヒマラヤ語群に属する言語で、チベット語の南部方言に分類されます。ちょっと専門的になりますが、ブータンの国名をチベット語で表記すると、チベット文字では འབྲུག་ཡུལ་ワイリー拡張方式では ‘brug yul、「ドゥク・ユル」(竜の国)と読み、ブータンの国旗に竜が描かれているのはこのためです。


また、ブータンは「世界で一番幸せな国」というイメージを持つ人も多いと思います。
もともとブータンは長年鎖国政策をとっていましたが、1971年に国連に加盟して以来、国民総幸福量を基本とした国づくりで存在感を強めきています。ブータンの提唱するGNH(国民総幸福量)とは、ざっくりいうならば、「経済的な豊かさではなく精神的な豊かさを重んじる」というものです。国の発展を図る指針として、GNP(国民総生産)ではなくGNH(国民幸福量)に重きを置いています。ブータン人に「幸せですか」と尋ねると「はい」と答える人がほとんどだそうです。
ところで、ブータンで一番有名な日本人は誰かご存じですか?
それは、海外技術協力事業団(現・国際協力機構)に所属して活動した日本人農業指導者で、植物学者でもある西岡京治さんです。ブータンの農業の発展に大きく貢献し、「ブータン農業の父」といわれ、1980年には、ジグミ・シンゲ・ワンチュク国王から「国の恩人」として、民間人に贈られる最高の爵位で、「最高に優れた人」を意味する「ダショー」を授かり、同国において唯一にして史上初の外国人受爵者となり、今でもブータンではダショー・ニシオカと呼ばれて尊敬されています。1992年に亡くなった時には、ブータン王室およびブータン政府によって国葬が執り行われました。
1933年に日本統治時代の朝鮮の京城府(現:大韓民国ソウル)で生まれた西岡京治さんは、戦後、日本に帰国して大阪府八尾市に移住し、大阪府立八尾高等学校卒業後、大阪府立大学農学部(現・生命環境科学部)に進学しています。ちなみに、私の父親は八尾高校卒業なので、先輩にあたります。大学院は大阪府立大学大学院農学研究科に進み、大阪市立大学大学院理学研究科研究生として川喜田二郎さんの薫陶を受け、これがきっかけで、1958年、川喜田二郎を隊長とする大阪市立大学西北ネパール学術調査隊に参加し、このとき、二条大麦および六条大麦の野生種を発見しました。この西北ネパール学術調査隊に関しては、京都大学生物誌研究会と日本民族協会の後援のもとに行なわれ、ネパール北西部にある8000m峰ダウラギリ北方に広がるドルポ地方のツァルカという集落を拠点にフィールドワークし、近代化や人口増加、出稼ぎ急増などによる森林の荒廃や地滑りの多発、水質の悪化などの環境問題と、薪や水運びの苦労といった住民の生活苦の問題を調査し、その後のネパール・マヘンドラ国王自然保護基金の日本委員会としてヒマラヤ保全協会を設立する契機となりました。この西北ネパール学術調査隊の様子を紹介した一般書の「鳥葬の国―秘境ヒマラヤ探検記」が講談社学術文庫から出されているので、ヒマラヤ地方に興味のある方は参考にしてください。

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