初めての海外旅行(パート2)

上海行の飛行機に乗り込むと、CAさんがドリンクのサービスを聞きに来てくれたので、すかさずワインを注文しました。これでまた爆睡です。寝ている間に東シナ海上空を飛んで、目が覚めたら大陸でした。眼下には広大な水田と、網の目のように張り巡らされた水路と土手が見えます。まもなく飛行機は上海に着陸したんですが、当時はまだ今の浦東空港ではなく、古い虹橋空港でした。ターミナルビルには大きく赤い文字で「上海」と書かれていました。いよいよ中国大陸にやってきたという気持ちが高まりました。上海の空港で次に四川省の成都へ行く飛行機の乗り換えをします。
上海の旅行会社の人から搭乗券をもらって、成都行きの飛行機の搭乗ロビーでビールでも飲みながら待っていようと思い、売店に行って青島ビールを買ったとき、初めて中国式の歓待を受けました。売店のお姉さんがお釣りを投げてよこしたんです。話には聞いていたんですが、実際に体験するとびっくりしました。
成都へ向かう中国の国内線の中国西南航空の機内は賑やかでした。私がチベットのガイドブックをパラパラとめくっていたら、隣に座っていた学生さんらしき青年が興味を持ったのか、「見せてくれ」というので見せ、身振り手振りで明日からチベットに行くと伝えると嬉しそうにしていました。後日談になりますが、チベットから成都に戻ってきたとき、成都の西南民族学院の建物で彼らしき青年を見かけたので、もしかしたらチベット族の青年だったのかもしれません。
四川省の成都は、人口は多くて大都会には違いなかったものの、当時は中国の内陸にあるあか抜けない街の印象でしたが、その後、10年もたたないうちに現代的な高層ビルが立ち並び、中国で一番おしゃれな街は成都だと言われるまでに変貌したのは驚きです。

空港ターミナルを出て、空港から市街までどうやって移動しようかあれこれ迷っていたら、先ほど機内で会った青年がバスのドアから半身を出して私を呼んでいました。ここは彼に賭けてみようと思ってバスに乗り込みました。私が中国の旅行会社から送られてきた成都のホテルのファックスを彼に見せると、「任せておけ!!!」という感じで自信ありげに見えました。バスの終点ではなかったものの、彼が降りるというゼスチャーをしたのでバス代を差し出して降りようとしたのですが、彼はお金を受け取りませんでした。しかも、バス停からホテルまでタクシーで移動したときも、彼が払ってくれて、ホテルのチェックインの手続きが終わるまで見守ってくれ、別れ際はさらっとバイバイを言っただけでした。このことを中国に行ったことのある友人に話したら「信じられない」と驚いていました。
翌日は朝一の飛行機でラサへと向かいました。中国の朝というと、自転車の洪水を思い描いていたのですが、ホテルの窓からは停車している数台のタクシーが見えただけで、街はひっそりとしていました。一台のタクシーを捕まえて空港へ行き、ラサ行きの飛行機を待っていると、奇妙な日本語のアナウンスが聞こえてきました。
「ラサへご出発の・・・」
秘境と言われていたチベットも、多くの日本人が訪れるようになって、ラサに関してはもはや秘境ではないようです。
ようやく搭乗の時間がきて飛行機に乗り込むと、昨日の上海から成都まで来た飛行機とはまるで違い、機内は静まりかえっていました。離陸すると窓側の席だったので外を眺めていると、四川省の田園が広がっていましたが、すぐに厚い雲の中に入りました。1998年は揚子江が大氾濫した年で、昨日の夜、ホテルで眺めていたTVのニュースでもしきりに災害のことを報じていて、氾濫している川から人民解放軍の兵士の手によって助け出された人々の映像がひっきりなしに映し出されていたのをおぼろげに思い出されます。
成都から飛立った飛行機は30分もしないうちに四川省甘孜(カンゼ)チベット族自治州の上を飛ぶことになります。自治区ではありませんがそこはもうチベット世界です。北海道を2つ合わせたくらいの面積を持つ山岳地帯で、揚子江(金沙江)、メコン河、サルウィン河の上流部が刻む谷間を中心にチベット人など約90万人が住んでいます。成都から西に150km。天候がよければ四川省の最高峰ミニヤ・コンカ(7556m)も拝めるのですが、残念ながら雲で全く見えません。
延々と雲海を眺めていると、そのうち遥か彼方に雲海を突き刺すように飛び出ている雪峰群が見えてきました。

 

 

 

 

あれはもしかすると、もしかしてヒマラヤの東端、西から流れてきたヤルツァンポ河が180度向きを変え、ブラマプトラ河となる、その屈曲点に聳えるナムチャバルワ(7782m)とギャラペリ(7294m)では?

 

 

 

 

この地域は「空白の五マイル」と呼ばれ、これまで数々の冒険家たちのチャレンジを跳ね返し続けてきた伝説の谷です。私の高校の後輩の角幡唯介がこの地図上の空白に挑みました。


それが生まれて初めてのヒマラヤとの邂逅でした。その後、飛行機はやがて次第に高度を下げていき、ヤルツァンポ河沿いのゴンカル空港へと向かいました。

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