初めての海外旅行(パート3)

ラサのゴンカル空港に着くと、現地の旅行会社のガイドとドライバーが出迎えていました。空港からラサ市街地までは120km。舗装された道路を車はぶっ飛ばします。周りの風景は、川沿いにはわずかに緑はあるものの、岩山が延々と広がっていて、まるで月世界のようでした。空港の標高は3700mなのですが、幸い高山病の兆候は見られませんでした。途中、羊の群れが道路を横切るなど牧歌的な光景もあったのですが、チュシュ(曲水)大橋を渡り、ヤルツァンポを越えてキチュ河沿いの道路に入ったところで待ち構えていたように道路が冠水していたのが印象的でした。チベットでも水害は同じのようです。

 

 

 

 

 

この道路は中尼公路と言って、チベットのラサとネパールのカトマンドゥを結ぶ、言わば国道1号線のような道路です。後日、ギャンツェという街へ向かうときにこの道を利用したのですが、山間部では至る所で道路が寸断されていました。
寝不足と高山病の症状が出てきたのか、いつの間にかウトウトしていたのですが、ふと目覚めると、道路際の岸壁にネタンの大仏と言われる摩崖仏が見えました。いよいよラサの入り口です。

 

 

 

 

 

それから間もなく、車はラサ市街へ入っていき、前方の丘の上に金色に輝く屋根を持つ巨大な建物が見えてきました。これがラサのシンボルであり、チベットというと誰もが連想するポタラ宮です。

 

 

 

 

 

ポタラ宮は、13階建て、基部からの総高117m、全長約400m、建築面積にして1万3000㎡という、単体としては世界でも最大級の建築物で、チベット仏教及びチベット在来政権の中心であり、内部に数多くの壁画、霊塔、彫刻、塑像を持つチベット芸術の宝庫です。実際に中を見学したのは到着した翌日の午前中ですが、この建物を見て改めてチベットへ来たという実感が高まりました。ちなみに、ポタラという名前、は観音菩薩の住むとされる補陀落のサンスクリット語名「ポータラカ」に由来し、この宮殿を造営したダライ・ラマはチベットの人々から観音菩薩の化身と信じられています。
1642年に、モンゴルのオイラト八部のひとつホシュート部の部族長であるグシ・ハンよりラサをはじめとするチベットの中枢地帯の寄進を受けて発足したダライ・ラマを主としていただくチベット政府「ガンデンポタン」は、その権力と宗教的な権威の象徴として、7世紀半ばにチベットを統一した吐蕃第33代のソンツェン・ガンポがマルポリの丘に築いた宮殿の遺跡を増補、拡充するかたちで1645年から8年の歳月をかけて歴代ダライ・ラマの居住と政治的な執務にあてられた領域である白宮を造営し、ダライ・ラマ5世の死後も、その死を摂政によって秘匿されて紅宮と呼ばれるチベット仏教の総師ダライ・ラマが「祭司王」としての権威を発揮する宗教的な領域の造営が続けられ、最終的に完成したのは1695年です。紅宮は、日常的な機能をほとんどもたない聖空間であると同時に、政権にとって最も重要な象徴性を帯びた場所で、最下層には位置的に紅宮の中心を占める大集会場があり、この上部の吹き抜けを囲む回廊を介して他の各室が並んでいます。この集会室の西側に面して3層吹き抜けで設けられているのが霊塔殿で、ここには多くの仏塔(チョルテン)が納められていますが、なかでも一番豪華なのは、1690年に造られた、高さ15mにもおよぶダライ・ラマ5世の霊塔です。霊塔は、3724㎏(霊塔を含む)もの金箔、1500個にも及ぶダイヤモンド、さらには翡翠、瑪瑙など貴重な宝石類で装飾され、塔座には、各種宝器、祭器などが置かれていて、当時のダライ・ラマの権威の偉大さがわかります。

チベット到着当日は、空港からホテルまでの送迎だけで、具体的な観光は翌日からで、ホテルに着いたらゆっくり休むように言われていました。それには理由があって、チベット到着すぐに歩き回ると、確実に高山病になると言われていました。ラサの標高は3660m。富士登山の時にも書いた通り、高山病は標高2500mくらいから発症する可能性があり、そのはるか1000m高いところにいるわけですから行動は慎重になります。

富士登山


実際にはホテルのベッドで横になっているよりも軽く歩いたほうが高度順化にはいいのですが、ガイドは責任問題もあるのかきつく言われていました。しかし、大人しく言いつけを守る私ではないので、1時間ほどゆっくりした後、ラサの街を歩き回ることになりました。

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