クラブについて

いま、クラブというと、ギャルやパリピの遊び場になっていますが、90年代までは、それなりにカルチャーの発信基地で、新しいアートや音楽、ファッションがクラブから生まれていました。そんなクラブカルチャーが生まれたのはニューヨークですが、ニューヨークのクラブシーンを語るうえで欠かせない映画で「MAESTRO」というドキュメンタリー映画があります。

マエストロとはイタリア語およびスペイン語で芸術家、専門家に対する敬称、または称号で、マスターまたは教師のことを指します。ドイツではマイスター。特に西洋クラシック音楽やオペラの指揮者、音楽監督、作曲家、師匠の敬称として用いられ、日本語でいうところの巨匠のことです。しかし、この映画でマエストロと呼ばれるのは、70年代初頭から80年代、90年代に活躍したDJ/クリエイター達です。

「MAESTRO」は、製作総指揮:ハーブ・ラモス。プロデューサー・監督・脚本:ジョセル・ラモス、共同プロデューサー:ジャマイ・J・ドーセット、カルヴィン・マーク、エドマー・フローレス。編集;ジョセル・ラモス、エリック・モーマン。編集補助;サラ・クルシャー、チャド・スミス。音楽:アントニオ・オカシオ、ジェフ・ギオーム、マイケル・コールによるドキュメンタリー映画で、ゲイのコミュニティーの場であったクラブをより多くの層まで広げた伝説的なDJラリー・レヴァンを中心に70年代から80年代終わりにかけてのニューヨークの伝説的なクラブシーンを当時の貴重なフィルム、関係者による証言、そして音楽に乗せて綴ったドキュメンタリー作品です。印象的なのは、映画が始まってすぐ、当時、クラブに通う黒人が「音楽より大切なものは俺にはない。」と語るシーンがありました。クラブに限らず、音楽での陶酔感を味わったことのある人なら、彼が言わんとしていることの意味が掴めるのではないでしょうか。

出演するのは、ラリー・レヴァン、デビッド・マンキューソ、フランキー・ナックルズ、ニッキー・シアーノ、フランソワ・K、フランシス・グラッソ、ウオルター・ギボンス、ジェリービーンズ・ベニテス、ダニー・テナグリア、トニー・ハンフリーズ、ティー・スコット、ディミトリ・フロム・パリス、ダニー・クリビット、リトル・ルイ・ベガ、ピート・トン、ジョー・クラウゼル達で、その誰もが今のダンスミュージックやクラブカルチャーを作り上げた巨匠たちです。

映画は1976年から1987年にかけてニューヨークのキングストリートに実在した伝説のディスコ「パラダイス・ガラージ」を中心に描かれていて、その周辺にデビッド・マンキューソの「ロフト」、ニッキー・シアーノの「ギャラリー、フランシス・グラッソの「サンクチュアリ」などについて語られています。

「パラダイス・ガラージ」の客層は主にゲイの黒人であり、伝説的なDJ、ラリー・レヴァンがプレイしていました。ラリー・レヴァンは幅広い音楽の知識を元にディスコ、ロック、ヒップホップ、ラテン音楽、ソウル、ファンク、テクノ・ポップなどありとあらゆる音楽をプレイして一晩中客を踊らせ、その有様はそこに集う客の熱狂を伴って殆ど宗教儀式のようであったと言われています。また、ラリー・レヴァンは独学ながら優れた音響の専門家でもあり、エンジニアのリチャード・ロングと共に「パラダイス・ガラージ」に自らの手で構築したサウンドシステムは大音響でありながら非常にクリアな音で、ダンスフロアの中央にいても容易に客の間で会話ができたとも伝えられています。

多くのニューヨークのDJ達が「パラダイスガラージ」とラリー・レヴァンのDJスタイルに衝撃を受けてDJの道へと進み、現在に至るも史上最高のクラブの一つとして語り継がれています。現在、ラリー・レヴァンが「パラダイス・ガラージ」でプレイしていたような音楽やその進化した形の音楽をガラージと呼び、またこのガラージと呼ばれる音楽はハウス音楽や、テクノ音楽に大きな影響を与えました。またそのサウンドシステムもその音の質の高さから未だに伝説として語られています。

「パラダイス・ガラージ」という名前は、このクラブがあった建物がかつて駐車場(ガレージ)であったことに由来しています。その様子についてはクラブが失われた今となっては想像や伝聞に頼るしかありませんが、ラリー・レヴァンのDJプレイを録音したものがCD化されており、かつての熱気をうかがうことが出来ます。

「パラダイス・ガラージ」オープンの噂は広告ではなく、口コミにだけ頼っており、真の意味でアンダーグラウンドな存在でした。また会員制のクラブであったため、「パラダイス・ガラージ」に入りたがる客達は「パラダイス・ガラージ」の前に娼婦のようにたむろし、メンバーカードを持った人間に10ドルを払って一緒に入ってもらっていたらしいです。

この映画を見ていると、90年代の東京のクラブシーンの全盛期が懐かしくなります。私は当時、渋谷の「CAVE」や六本木の「RAZZLE DAZZLE」、芝浦の「GOLD」、西麻布の「YELLOW」、青山の「MANIAC LOVE」や「LOOP」で夜毎踊りあかしていました。とくに、学生時代によく通った六本木の「RAZZLE DAZZLE」は、毎週土曜日の深夜2時以降になるとアフターアワーズ・パーティーが変わり、ノードリンクでしたが、1000円で朝の8時まで遊べました。お金のなかった学生にとっては夢のような空間だったのが思い出されます。

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