北海道の思い出(パート1)

大阪生まれ大阪育ちの私は、北海道とは縁のない生活を送っていましたが、高校進学でいきなり北海道へ行くことになりました。その簡単な経緯をお話しします。

高校受験を控えた中学3年生。同級生達がみな同じように地元(京都・大阪・奈良)の高校を志望校にしていた中で、人と違うことをするのが大好きだった私は、漠然と遠くの学校に行きたいなと思っていたので、ふと、大阪梅田の紀伊國屋書店で見かけた全国版の高校案内を購入し、どれどれとパラパラ学校選びをはじめました。そこには私立校ばかりでしたが、北は北海道から、南は九州までの学校が、上は天下の灘高校や開成高校から下は名前も聞いたことがない学校までずらりと並んでいました。そこで見つけたのが北海道の函館のカトリック系の男子校。北海道の高校に一人で進学しようと思ったら、両親を説得できるだけのそれなりのネームバリューのある学校で、生活するために寮が完備されていて、なおかつ自分の偏差値で確実に合格できる学校を選んでそこに入学しなければなりません。当時の私の偏差値は69くらいで、鹿児島にも兄弟校はあるのですが、そこは到底無理。函館の学校ならなんとか行けそうな気がしました。学校以外にも、函館という土地は、「北国」という言葉の響きにも惹かれたし、港町で、日本三大夜景にも心惹かれました。

入学試験は、今は大阪会場もあるのですが、私の時代は一番近くて東京会場で受験しないといけなかったので、母と二人で新幹線で1泊2日の予定で東京まで行きました。結果は合格だったので、この記事を書くことができるのですが、不思議なことに、大阪ローカルの大阪日日新聞に私が受験した数学の問題と解答が載っていました。

そしていよいよ入学のために函館へ向かうことになるのですが、今では大阪の伊丹空港から函館行きの直行便が飛んでいますが、私の時代は東京の羽田空港で飛行機を乗り換える必要がありました。飛行機の中で印象に残っているのは、太宰治の「ここは,本州の袋小路だ。・・・そこに於いて諸君の路は全く盡きるのである」で有名な津軽の文学碑がある竜飛岬を超えて津軽海峡上空を飛んだことです。いよいよ北の大地のアイヌ・モシリに向かうのだと思うと感慨深かったです。

初めての函館、初めての北海道と言う事もあり、タクシーで学校を下見した後、函館観光を一通りしました。初めに訪れたのは、学校から近いトラピスチヌ修道院です。ここは、明治31年(1898)、フランスから派遣された8人の修道女によって創設された日本最初の女子修道院で、約70名の修道女が牧畜や農耕を営みながら敬虔な生活をおくっています。内部は立ち入り禁止ですが、敷地内の売店では修道女が作ったバター飴などを販売しています。

その後、函館駅の方に移動して、今ではベイエリアの立派な観光名所になっている金森倉庫をはじめ、旧函館区公会堂、函館ハリストス正教会、外国人墓地などを見学した後、最後は五稜郭に行って、五稜郭タワーで生まれて初めてイカソーメンを食べました。学校の近くに湯の川温泉という温泉街があって、そこの旅館で泊まって、翌日の入学式・入寮式に臨みました。これが北海道初体験の思い出です。

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