初めての海外旅行(パート4)

ホテルで一泊した翌日、午後からはラサ3大寺の一つ、セラ僧院へ向いました。セラ僧院はラサの北にある山ギェルツェン・リの麓にあり、1419年にツォンカパの弟子チャムチェン・チュウギ・サキャ・イェシェによって建立された、かつては3つの学堂と5500人の僧侶がいた僧院です。

セラ僧院はまた、日本人との縁もあり、1900年にダウラギリの北を回り、ドルポからチベットに入国した河口慧海は、日本人で初めてラサに入り、当面の滞在先として身分を中国人と偽りセラ僧院に入りました。もう一人、西本願寺の大谷光瑞によって青木文教と共に派遣された多田等観は1912年3月、清朝軍のチベット侵攻からインドに逃れてきていたダライ・ラマ13世にカリンポンで謁見して厚遇され、ダライ・ラマの弟子として彼の名前トゥプテン・ギャツォの一部をもらってトゥプテン・ゲンツェンを名乗り、ラサに10年間滞在し、その大半をセラ僧院での修行に当て、ダライ・ラマ13世の庇護の下、エリートコースを進み、最後にはチベット仏教の最高学位であるゲシェーの試験にパスしチュンゼーに任命されました。その名声は遠くモンゴルにまで響き渡り、1933年、日本の関東軍が懐柔工作を進めていたモンゴル側が、交渉相手に「トゥプテン・ゲンツェン」を指名したというエピソードも残っているほどです。

セラ僧院に近づくと、周囲にヤクの角が玄関に飾られている住居が並んでいました。聞くところによると、チベットでは嫌われている「屠畜」を生業としている人々が郊外に集団で暮らしていると言うことです。入り口付近には観光客を対象とした土産物屋や日用雑貨を扱う店が並んでいて、観光バスも停まっていました。

セラ僧院はその規模は縮小されたとは言え、広大でした。最盛期の様子は河口慧海「チベット旅行記」を参考にすると、「さてこのセラ大学は、大別すると三つになっている。一つはヂェ・ターサン、二はマエ・ターサン、三はンガク・パ・ターサンという。このヂェ・ターサンには、僧侶が3800人。マエ・ターサンには2500人。ンガク・パ・ターサンには500人いる。そして前二者には、カムツァン(僧舎)が十八ずつある。」(河口慧海「チベット旅行記」P235)。今ではその様子は一変していて、仏教修行の場と言うよりは観光名所の一つとなっています。主要な学堂を一つ一つ見て回ったのですが、やはりと言うか、僧の数が少な過ぎるように思いました。堂内はガランとしていて、数人の僧侶がバターランプを燈し、巡礼者の世話をしていました。寺院建築自体はチベット様式の造りで、建築的見地から見ればそれなりの価値を持つものなのでしょうが、それ本来の用途が活かされていないような感じがして、ちょっと寂しくなりました。ただ1ヶ所、チベット人の巡礼者が列をなしている仏像がありました。セラ僧院の本尊である馬頭観音です。像の足元に穴が開いてあり、そこに頭を差しこんで祈ってもらうと霊験あらたかだといわれます。ガイドは列をなしていたチベット人巡礼者の先頭に強引に私を割り込ませたのですが、僧侶は私が外国人観光客であることがわかったのか、「しょうがないな~」という風に頷き、日本から持参した私の数珠を手にして、しばらくそれを眺めると、私の頭をその穴の中に突っ込んで何度か揺すってくれました。他のチベット人たちは当然のようにその様子を眺めていましたが、私は、自分が「外国人観光客」であり、チベットに大金を落としてくれる「大事なお客さん」であることを恥ずかしく感じました。本来であるならば自分もチベット人に混じって列に並び、順番を待つべきはずなのに・・・

学堂の裏に回ると僅かばかりの緑を残す岩山にへばりつくように小さな修行場がありました。世俗を離れ、一人静かに密教の瞑想をするリトリートのための建物らしいです。大きな岩面にはブッダが描かれていて、その岩山の向うはラサで有名な鳥葬場があります。チベットを訪れた人はみんなその鳥葬について語っています。

チベットといえばまずこの鳥葬を思い浮かべる人は多いかも知れません。この葬法を残しているのは今ではチベットと中央アジアのゾロアスター教徒くらいだそうです。チベットには火葬するほどの燃料もなく、土葬するにしても土が固すぎる。水葬をすれば河が汚れると言うことで、鳥葬がチベットでは一番合理的な葬儀の仕方だといろいろ言われていますが、本当のところをチベット語の先生(チベット人)に聞いたところ、それは人生最後の布施行だそうです。鳥葬のチベット語はチャトル。「チャ」は鳥。「トル」は供養の施食を撒くこと意味します。これは「生き物に功徳を施す」思想からきていて、ラサでは「天に葬る」という意味で「トチュイ」とも呼ばれます。英語ではこの鳥葬のことを「スカイベリ(天葬)」と呼んでいます。

人は亡くなると3日間の祈りの後、4日目の早朝、トムデンと呼ばれる葬儀屋がやってきて遺体を担ぎ出し、鳥葬場へ運びます。以前は、家族は同行せず、寺に行って自分自身の善行を積むために祈るといわれていたました、今では車で遺体を運ぶので、家族も同行して鳥葬に立ち会うようになったそうです。しかし、よそ者(外国人観光客)が鳥葬を見ることは許されていません。見に行ったとしても邪険に石を投げつけられます。また、それに裏山といっても歩いて行っては遠いし、葬儀は夜明け前の早い時間に行なわれるので、遭遇するのはほぼ不可能です。

一通りの観光をすませると、どこかのお堂からおなじみのエビ茶色の僧衣を纏った20数名の僧侶がゾロゾロと出てきました。たぶん勤行か問答の修行が終わったのでしょう。その様子を欧米人観光客が無邪気にカメラにおさめていました。

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