初めての海外旅行(パート6)

デプン僧院からホテルに戻り、ベッドで横になって本を読んでいると、ガイドから一本の電話がかかってきました。どうやら午後からのジョカン参拝をキャンセルして欲しいとのこと。「申し訳ない」といった気持ちはさらさらなく、いたって事務的に話しをされました。しかし、相手の様子はなんだか落ち着かない。明日のギャンツェ行きに関して、公安当局との間の交渉が難攻しているらしいのかも知れません。ギャンツェは一応、外国人未開放地区です。未解放地区に行くには公安が発行する外国人旅行証を取らなければなりません。ただ、国境付近の政治的・軍事的に敏感な地域と違ってギャンツェはまだ外国人旅行者の間ではポピュラーな町です。チベットの歴史を振り返っても重要な町であり、有名なパンコル・チューデもあります。外国人ツアー用のギャンツェ(江孜)飯店もあり、ガイドブックによればシガツェの公安では外国人旅行証は簡単に取れると書いてあるのですが、ラサの公安ではなかなか出してくれないのかも知れません。今朝、聞いた話しによるとギャンツェまでの道路状況はかなりひどいらしく、当初の予定通り、カンパ・ラを越えてヤムドク湖沿いの道を走り、ナンカルツェを経由してカロ・ラを超えてギャンツェに行くのはどうやら難しいとのこと。
キャンセルと聞いて残念に思う私ではありません。むしろのびのびと街歩きができます。案内されなくてもすでに地理には詳しくなっていました。一人で行った方が気楽だし、なにかと都合がよいので、ジョカンを目指してホテルを出ました。
北京西路と北京東路を東へ向い、ポタラ宮を眺めながら文化公園のところで右折し、字拓路をまっすぐ行ってジョカン前の広場に出ます。広場はいつものようにカム(東チベット)やアムド(東北チベット)から来たと思われる行商人で賑わっています。お土産の一つか二つでも買おうかと思って露天をひやかして回ってから、ルンタ(タルチョー)屋で、一人のチベット人が買っていたのを覗いていて、10元で買っていったのを確認すると、私も店主に聞いてみました。
「このルンタ(タルチョー)いくら?」
店主はこちらが外国人観光客であると判断し、最初は15元とふっかけてきました。
「さっきのチベット人は10元で買っていったぞ!!!」
と強い調子で相手の持っている電卓に何度も「10」という数字を表示させると、店主は「見られていたんじゃしょうがない」といった感じでしぶしぶ10元で手を打ちました。以後、その調子で上質のカタの詰め合わせを30元ほどで手に入れました。後日、ガイドにそのことを話すと、「それは安すぎます」と驚かれましたが・・・

ジョカンに入る前に昼食を取っておこうと思って広場に面した一軒の安食堂に入りました。ここに入るのは3回目。初めて来た時は何を注文してよいかわからなかったので適当に安っぽい紙に書かれたメニューの中から漢字で書かれた「羊肉と大根の煮物」を頼んだのですが、2回目以降はトゥクパ(チベット風うどん)と決めていました。「羊肉と大根の煮物」はたぶん外国人観光客向けの料理だったらしく、値段も17元ほどしたように思います。日本人の感覚からすると安い方なのかもしれませんが、地元のチベット人たちは滅多に食べない高級料理だったのか、注文すると店のアチャ・ラ(お姉さん)も愛想がよかったのですが、トゥクパはわずか3元ほど。すると次第にアチャ・ラの愛想がなくなってきました。3回目のときはメニューすら出さず、「メニューをくれ!」とゼスチャーしてみても、私の顔を見るなり「ふんっ」って感じで頼んでもないのにトゥクパが出てきたほどです。

さて、いよいよ聖地ラサの真中の真中、ラサに巡礼にやってくるすべてのチベット人が目指す「大正殿」、ラサ・トゥルナン・ツクラカンの中心部を指すジョカンに入りました。ここはラサの街の語源になったラサ最大の聖地で、まさに「THE NAME OF LHASA」です。
古代チベット王国のソンツェン・ガンポ王のネパール人の妻、ティツンが建立しただけあって、正門はネパールのある西を向いています。入り口に近づくと、チベット人の老僧が扉を開けてくれました。私が数珠を持った手でチケットを差し出すと、彼はチケットには目もくれず、微笑を浮かべて「入れ!入れ!」という。入った堂内は薄暗かった。バターランプの独特の匂いがして、床もなんだかベトベトしていました。
内部は入り口から時計回りに右手には歓喜堂、無量光堂、薬師堂、観音堂、弥勒堂、ツォンカパ堂、無量光堂が並び正面には文成公主が唐から持ち寄ったジョカンの本尊、12歳の釈迦牟尼像が祀られているジョウォ・シャキャムニ・ラカン(ツァンカン)=釈迦堂があり、左手には弥勒法輪堂、獅子吼堂、菩薩主眷属堂、弥勒四処堂、南門有鏡堂、冨貴堂、無量寿九尊堂、意願堂と続きます。各堂を見て回り、釈迦堂の釈迦牟尼像の前で手を合わせて拝んでいると、欧米人団体客がガイドを連れてやって来ました。中国人ガイドは私の姿には目もくれず、拝んでいる私の目の前で大声で解説をはじめましたが、欧米人の方は、私に気づくと小さな声で「アイム・ソーリー」と呟いて私の前を開けてくれました。堂内を一巡し、正面入り口に戻って改めて堂内を見渡してみると、外国人観光客の姿はありましたが、チベット人巡礼者の姿は意外なことに少なかったように思います。正面には沢山の灯明で釈迦牟尼像が光り輝いていました。
外に出ると、ジョカンを取り囲むようにマニ車が並んでいて、チベット人の後に続いてマニ車を回しながら2周して見ました。その後、2階3階のぱっとしないお堂をいくつか見て回ってから屋上に出ると、鉢植えの花が並べられ、ちょっとした憩いの場になっています。

周囲を眺めると、遠くにはラサを取り囲む山々が夕陽を浴びて光り輝き、手前にはポタラ宮がその威容を誇っていて、広場はまだ賑わいを残していました。

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